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Wednesday, 01 November 2006

デジタルの真剣度 (musing)

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11 月になりました、、とは言っても生活が改まるワケでもなく、今月、来月そして新年、連綿とつづく営みと言えば何か大層な事のようですが、粘度の高いやや透明な流体に浸かるかの如き日々を安穏と過ごして行くのもいいかなと思っています。さて、先月初頭からのイタリア行き、それに続くバラ撮影これらは M 型、R 型を駆使(してないしてない、、、)し、加えて DMR も登場しましたから酒とバラの日々ならずも銀塩とデジタルの日々を素人ながらも堪能した一ヶ月ではなかったかと回顧しておりますが、その中から自分なりに銀塩/デジタルの棲み分け方が見えて来た様な気がします。第一に、同じ画像を記録するハードウェアとして存在する両者ですが、それぞれの画像は「別物」と考えるべきであるということ。当たり前の結論かもしれませんが両者の比較はあまり意味が無い事を悟ったのであります。詳述は避けますが、最終的にどのような形態での出力にするかで決まると思うのです。第二に、広義の写真の楽しみはやはり銀塩に分がある事。これは今となってはアマチュアの特権ではないかと思うのですが、高価になりつつある銀塩フィルムを使って失敗の無いショットを狙うというハイテンションな行為はそれなりの集中力と体力を費消するものだという事の裏返しで、そういう緊張感を味わえるのは銀塩だと思うのです。これは、デジタルが記憶媒体に記録された内容を確認し、削除或は保存という取捨選択の余地があるだけでなく、失敗は即座にこれを訂正し、その場で撮り直しが可能であると言う点に尽きると思います。換言すれば、デジタルにはやや緊張感に欠ける、、、これはシャッターチャンスを逃すと言った技術論では無く、、、部分がややもすれば存在するということです。第三に、銀塩は泣いても笑っても 1 ロール勝負、即ち 36 枚で完結する物語であるのに反して、デジタルでは DMR の RAW の場合、2GB のメモリーで 100 枚近くまで撮影枚数が伸びますから、物語の内容よりも寧ろその圧倒的枚数で無理矢理、読了感を与えるといったやや歪曲した手法に傾いてしまうという罠があるのです。更に、1 ロール (36 枚)毎に休憩を取るといった習慣さえもが完全に否定され、かなりの時間に渡って写真するという行為に入り込まなければなりません。もうお気づきかもしれませんが、銀塩が高いテンションで撮るにも関わらず、その緊張は 36 枚という「節目」で開放されるのに比して、デジタルは緊張のピークはやや低いものの長時間に渡って続くのだということ、、、。これって、生活習慣病とかの原因と同じパターンではないのかしら?

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