デジタル時代の銀塩 VIII
新橋の景色がすっかり変わってしまった。駅前の SL 広場、以前はもうちょっとごみごみしていたのだが、駅横の牛丼吉野屋さんやチケット・ショップが入っていたビルが取り壊しになり、新たにキレイなビルが建った影響だろうか?高架の向こう側の景色はもう「この世」のものではないみたいだ。汐留再開発の未来的なビル群が圧倒的な量感で迫って来る。新橋駅そのものは大きく変わったとは思わないが、背景が変わってしまったということか?駅前ビルの 2階には、中国風(?)マッサージの店が多くなり、喫茶店さえも排斥されてしまった。かつては、新橋カメラさん、大庭商会さん、ウツキカメラさんがあって、カメラ街としても有名な新橋だったが、今はその面影も無い。富士越写真機店さんが先程のマッサージ店の並ぶ一画に残っているだけだ。銀座とは違った意味で大人の街だった新橋の面白味は薄れてしまったようだ。画一化されたステレオタイプの街並、新橋に限らずどこの駅前の風景も同じようなものになってしまったと思うのは筆者だけではあるまい。
(M7 + Summicron-M 50mm/f2, Nikon Scan 4, CS3)
Comments
そういえば、僕も同じズミクロンを持っていました。
M8がフルサイズならば多用するレンズなのでしょうが・・・。
今度M6かヘキサーあたりで写真を撮ってみます。
Posted by: ritomo | Tuesday, 13 May 2008 11:13
ritomo さん、
Summicron-M 50mm/f2 は、腐っても鯛というか、良いレンズですね!
最近は、そういうレンズに惹かれます。
是非、使って下さいませね。
Posted by: 野本 巖 | Wednesday, 14 May 2008 11:42
Summicron-M 50mm/f2は野本先生のお勧め?で使わせて頂いておりますが、、、6bit-codingの「新型」はダメ?
さておき、、、
80年前後に首都高の汐留乗継所(中銀タワー隣接の)でよくバイトしてました。券を配るのばかりでカネはめったに扱わないので、学生向きだったのでありましょう、、、
夜勤の休み時間には新橋の(今はなくなったなあ(泣))豚カツ屋で腹ごしらえ、吉野家さんにもよくお世話になりました。学生の身分ではウソでも高速をくぐって東方面へは行けないのでありました。
新橋と銀座の境界は結構厳密で、首都高会社線から東が銀座8丁目、西はヤクルトホールを含めて新橋と分かれていました。高速真下の商店街はビミョ~(^^;
でも、最近では「新橋エリア」でも「銀座」を名乗っておりますね(^^; でもその逆、つまり銀座8丁目なのに「新橋」と名乗らないのは何でだろう?とふと考えますです(笑)
新橋・烏森ではオヤジの代から焼き鳥食ってます。その新橋が変わっちゃってるんですね、、、(泣)
「ヲヤヂの新橋」は既に過去の遺物になりかかっているのでせうか?
すべて電通・日テレを始めとしたシオサイトの再開発の副作用です、、、
で、少ないお小遣いできゅうきゅうしているヲヂサンはどこで飲めば良いのでせうか?
Posted by: Julian | Wednesday, 14 May 2008 21:38
Julian さん、
新橋の飲屋街は健在ですが、何かちょっとだけ洗練の臭いがします。
我々、昭和の人間は、昭和の名残が色濃く残っているところが好きなんでしょうね、、、。小便臭い路地裏とかそういう原体験のある場所。
しかしあの頃のおっさん達はおもろかった。そして世の中もおもろかった。
懐古趣味ではなく、おもろかったです。
Posted by: 野本 巖 | Wednesday, 14 May 2008 23:10