SONY α7R 使用記 (iii)
36 M ピクセル超の画質が、35mm (135) 版に必要かどうかについては、ご意見があると思うが。筆者の答えは、表現方法としてかつて大伸ばしにして初めて理解されたディテイルの妙味が、比較的小型な画像で再現されるという意味においては必要かもしれないと。つまり、解像度が低いゆえに対象に近づいてその対象物の質感、感情を切り取る必要がなく、もっと大きな構図の中でその対象物のディテイルを捉えることが出来るのは、良いことだと思うのである。例えば、エジプトのピラミッドを捉える場合、解像度が低いと、全体像としての四角錐を捉えたのでは、積まれた石の質感まで迫るのは難しいのだが、これが全体像を捉えながらも個々の石積みの質感を捉える事が出来れば、より臨場感を伴う圧倒的存在として知覚することが可能となるのである。拙宅のまめ吉、リビングの光景の一部になっているが、その虚空を見つめる様子と年老いた毛並みで何か意志を伝えたがっているかの如くだ。その感情が、顔部分のアップに頼らずとも背景に囲まれた形で表現できるのは有難いことだと思う。まめ吉の必死な表情のみを切り取らずとも、背景の中に何らかの緊張感を持って存在していることが判る描写だからである。と、小難しい事を考えてみた。
(SONY α7R, Summilux-R 80mm/f1.4, Image Data Converter, CS6)
Comments
私は1200万画素もあれば十分ですが、プリントする人はクオリティを追及するのでしょうか?
まめ吉くん、なにを見つめているんだろう?
Posted by: ム | Monday, 18 November 2013 06:44
ムさん、コメント有り難うございます。
まぁ、アタシも DMR の 10 M で、満足といえば満足なんですが、、、(;^^A
まめ吉は、なんとなくもこ吉が居なくなったのを感じているようで、寂しがる様子が見て取れます、、、(;_;) ウゥ
Posted by: 野本 巖 | Monday, 18 November 2013 10:37