« 葉山と | Main | イメチェン »

Sunday, 02 November 2014

犬のごはん

_1010485考えてみたらもう 25 年以上、犬を飼っているのだからつまり 25 年以上、時折ペットショップに預けて旅行に行ったりもしたが、餌を与えていることになる。家人が旅行中で、筆者も二日酔いだったりしたときに、初代のばび吉だったかに「今日は、ダイエットしようか?」と話しかけてサボったりしたこともあったが、考えてみるとこの小さな命の連中にとって食事と散歩は数少ない楽しみなのだ、、と思い返してふらふらしながら餌を準備したりしたのも思い出である。基本はペット用ドライ・フードに缶詰の肉系に加えてキャベツを与えるが、時々でそれぞれの犬の薬を加える。もこ吉は、免疫異常があったので、亡くなる直前まで免疫を押さえる薬を飲んでいたが、最後は、加齢でそもそもの免疫も低下し、薬を飲まずに済むようになった。左から、みの吉、佐吉、まめ吉のご飯。みの吉は、まだ若いので、心臓サポートの老人食ではないが、他の二匹はしっかり老人食である。どんなに疲れていても、彼らがもしゃもしゃと食べる様を見ると、あぁ、食ってるなぁという感慨もひとしお。犬達に教えられた事は、決して少なくないのだ。
(DMC-GX1, G 20mm/f1.7 ASPH., Capture One 8 PRO, PS CC)

|

« 葉山と | Main | イメチェン »

Comments

ワンコの楽しみは、食事・散歩・昼寝の3原則なので、人間側も「ワンコとの平凡なる生活」が楽しいと思わないといけないのですよね(哲学?)

Posted by: ム | Monday, 03 November 2014 09:49

ムさん、

でも人間には趣味がありますから、、、。それと旅の楽しみも。
そんなところかなぁ?

Posted by: 野本 巖 | Monday, 03 November 2014 16:05

野本さん、ワンちゃん達の容態は落ち着いたようですね。さぞ、お気疲れのことであったかと思います。お引越しの頃も、元気でいてくれるとよろしいですね。

それにしても、随分前からワンちゃん達を飼っていらしたのですね。小さな命が身近にあると、学ぶことが多いのは不思議な事です。

息子たちが子どもの頃に、あるナチュラリストの元にそれぞれお世話になった際、数日間の空腹の中でも果敢に火熾しに挑む息子と仲間たちの姿から、「食べる」ということの過酷さを目の当たりにさせられました。そんな子どもたちから学んだ多くのことは、小さな命が教えてくれたものとして通じるものを感じます。

こんな事を徒然に考えるとは、歳を重ねた証でしょうか...
「老け」の言葉に抗う精神は、いまだ健在なのですが。

Posted by: ハッシー | Wednesday, 05 November 2014 09:59

ハッシーさん、コメント有り難うございます。

お陰様で犬達の状況も落ち着き、毎日 3 頭の寝息(いびき)を聞いて暮らしております。

人間の成長には色々な段階があると申しますが、子や孫を持って分かる親の有り難みとはまた違った意味で、飼った犬や猫その他の動植物から学ぶ事は多いと思います。ウチはたまたま犬だったのですが、人生(犬生)というモノを人間に比べれば短いスパンでつまびらかにしてくれる彼らには飼っているという意識よりも寧ろ教えて貰っているのだと思います。

この事は、我々人間は、すべての事象から学ぶべきことが多いのだと結論されると思います。驕ることなく、平身低頭、、、今後の個人的な指針であります。

Posted by: 野本 巖 | Wednesday, 05 November 2014 10:56

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 葉山と | Main | イメチェン »