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Sunday, 26 February 2017

帰省 xiii

_1020829_1020830国道 264 号線(国道 34 号線)を西に向かうと、佐嘉神社角の交差点に至る。画像の交番は以前から同じ場所にあるが、やや奥まって見えるのは、周囲の木々が生育したからであろう。この交番には道で拾った 30 円とかまあ色々持ち込んだりしたものだ。その手前の横断歩道、そう小学校 2 年生だったと思うが、そこで反対側からロータリーを回り込んで右折してきたトヨタのハイエースと正面衝突。コロンと転がって、周囲の大人が集まる中、ケロリと何事もなく立ち上がってスタスタ帰ってきたのは何を隠そう筆者であった。何がどう幸いしたのかは分からないが、事実である。起き上がった時の周りの人々の驚いた顔を今でも覚えている。_1020831そのまま西に向かう。この通りにも数件の商店があって、かつて通った模型店があり、その先には友人の T 原君の父君が営まれていた写真屋さんがあった。その模型店の前のバス停から、市営バスに乗りそれ程遠くない所に良く行ったものだった。嘉瀬川、扇町、、、友人宅だったり、遊びだったり、、、ボーリングだったり。
(DMC-GM5, G Vario 12-32mm/f3.5-5.6 ASPH., Capture One 10 PRO, PS CC 2017)

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Comments

野本さんの帰省シリーズ、毎日楽しく拝見させて頂いております。ご郷里で野本さんが過ごされていた幾つもの商店街の往年を想像するに、さぞ賑やかに多くの人の行き交う大きな繁華街であったのではないかと。祖父母の居た長崎を訪れるのに佐賀県は通り過ぎるのみでしたので、佐賀の知られざる郷土史を伺っているような新鮮な感動を覚えます(^_^)

交番に硬貨を持ち込む、、私もよく持ち込んではお巡りさんの困惑顔をいつも不思議に思っていたものです。そのうち理由らしき事にふと思い当たり、今後は財布の時に持ち込もうと、、ただ中身が空っぽの時には悩みましたが、あはは。子どもの目線は地面に近いからなのかな、、?と大人になって稀に硬貨を地面に見つける度に、、カード社会の影響も感じたものです。

私は自身が交番に持ち込まれる事もしばしばあったようで、、3歳頃のようですが、外資系工業製品の販売で支店長を務めていた父の店舗が郷里の主要駅近くのメインストリート沿いにあり、店舗前のバス停から市営バスに乗り込んでしまっては、彼方此方の交番に私の身柄が、、中には心変わりして私を実子にすると言って聞かず抱き締めたまま手離さないおじさんがいたそうで、、その方の説得にお巡りさん共々長時間苦労した話を両親から聞かされてはおとなしくしているよう諭されておりました(^_^;、、が、車と衝突、、小学3年生の頃でしょうか、、あはは、お互い大事無く済み何よりであります(^^)

ところで、野本さんがボウリング、、?何かにつけ芸達者な野本さんの腕前の程が気になります。

Posted by: 杠葉 | Sunday, 26 February 2017 at 14:34

杠葉さん、

故郷の話は、これまで避けてきた訳では無いのですが、未熟だった自分の姿と重なる部分があったので敢えて書くことも無かったのですが、本年還暦を迎えまた初心に還るというのか、まあ心境の変化というか、、、そんな感じで、帰省したのをキッカケに書くことにしたのです。思うに、東京の裃を抜いで幾分楽になったせいもあるのかもしれません。或いは、葉山の田舎暮らしがそういう気分にさせたのかもしれません。

ボウリングの腕前ですが、父が生前、、、五十代前半でしょうか、、、博多の清川という所で博多ボウリングセンターというボウリング場を経営していましたので、実はマイボウル、マイシューズを持った小学生でした。折しも亡兄の友人が大学のボウリング部、、、、それこそ須田加代子さん中山律子さん、、、の時代ですから、ご多分に漏れずボウリングに熱中し、確か中 3 の時に、ブラスバンドの先輩と嘉瀬ボウルで勝負して 110 ピン差を付け、10 ピンあたりコーラ 1 本でしたから、11 本コーラ飲みました、、、。当時のハイスコアは 249 とか、、、あれってボウルが合うともの凄い得点が出るものなのです。東京に出てからは大学の友人と三田の田町ハイレーンで時々、、、でした。

Posted by: 野本 巖 | Sunday, 26 February 2017 at 18:02

おほほ〜っ、、小学生で、マイボール、マイシューズと、、ちょっとは憧れたものですが、結局、私の小学生時代のマイシューズはアイススケートだけでした(._.)趣味が高じてアマプロとして活動しながらマニア向けコーチとマイボールの製作もやっていた父から手解きを受け、私は6年生の時のハイスコア224でお終い、、指を痛めたくない習い事2つが忙しくなって来ていたので、、

1ゲーム250前後を叩き出せたなら、プロを目指してもおかしくない、と聞いておりましたが、、あららぁ、、野本さんったら、ボウリングも、、(-.-;)、、まぁ、実際の処のプロ試験の受験資格は3ゲームAve280以上とも聞いており、、あはは、即刻退散しました。男女プロボウラー混合の招待試合で中山律子さんにお会いした時、アスリートとしても大人の女性としても美しくて、とても素敵でした!

小学生時代、いろんな遊技場へ出掛けては、ビリヤード、ダーツ、パチンコも父から教わり、エアーホッケー、ピンボールマシンなども含め、弟を相手に熱中、、弟と仲良く居られるのは、一緒に思いっ切り遊んだ思い出があるから、、今では、当時の事にとても感謝しています。その後、ボウリングは嗜む程度で時折、、上京してからは、やはり田町ハイレーンで、、でした^o^
(それにしても、、コーラ11本、、勝って尚、試練の道、、か⁈)

さて、遅ればせながらでありますが、野本さんには還暦をお迎えの事、心よりお祝いを申し上げます。本年は、ご親族様を始め、多くのご友人・お仲間の皆様と初めての賀寿御祝を大いにお愉しみ下さいませネ!

Posted by: 杠葉 | Monday, 27 February 2017 at 15:40

杠葉さん、コメント有難うございます。

子供が小さかった頃までは世田谷通り沿いのオークラボウルに行ってやってましたが、ボウリング場から離れてパッタリと行かなくなりました。アタシは、曲がるボウルよりストレートで最後に左に少し入る、、、みたいな球筋だったです。

そうです、還暦であります。でもこれからどうなっていくのか?よく分かってないのがワクワクします。

わはは!

Posted by: 野本 巖 | Tuesday, 28 February 2017 at 10:57

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